vol.1 「仲間」
私の人生は原田先生抜きには語れない。
その原田先生が開かれている「教師塾」。
そこへ参加したことが自分の人生を大きく成長させてくれるきっかけになったのです。
小さい時から、「教師になる」と思っていた自分。
明確な目標があったわけではないが、「自分が教師になったら、いい教師になるぞ~!」と何となく、勝手に感じてた。
いい先生、いい仲間に出会うことができ、高校生から始めた陸上競技でも“ボチボチ”だけど結果も出して充実した毎日を過ごしていました。
大学も卒業し、難関の教員試験もなんとか2度目で合格。
目標としていた「教師」になることができました。
でも、なってみたらあんまり面白くない。
自分の思ったとおりに進めることができるわけではないし、意外と学校って「淡々と進んでいくんだなあ」と職員室にいながら感じていた。
一番の問題は「何がしたいのか?」が自分でも分かっていなかったこと。
本来は「教師になる」が目標ではなくて、「みんなを成長させたい」「みんなを幸せにしたい」が先にこないといけない。
「だから教師になりたい」が大切なのですが、その時の自分にはまだまだそんなことは分かっていなかった。
でも、徐々に慣れてくると若いということもあって、生徒たちとも仲良くなり、仕事も任されるようになってだんだん教師という仕事も楽しくなってきた。
その頃一人暮らししていた部屋にも生徒が遊びにきたりして「何か俺って教師に向いてるな~♪」なんて浮かれていたような気がする。
本当に最初の学校は、周りの先生方や生徒、地域の方に支えられて楽しく充実した時間を過ごしました。
まだ何も知らないのに、「教師って最高だなあ♪」と思っていたころです。
その後、2校目に転勤することになり自分の人生は大きく変わります。
1校目の生徒たちは本当に人懐っこくて、まさに「中学生」っていう感じの子たちでした。
素直で明るくて…そんな生徒に出会えたことは幸せでした。
でも、2校目で初めて生徒と対面する集会のとき。
まず、その場の空気の重さ、嫌な感じに違和感を感じたのを覚えています。
まず、整列することができない。
静かになるのは無理なので、ある程度のところでざわざわしていても集会が始まるのです。
「なんなんこれ?!」
正直、びっくりしました。
「生徒は教師の話を聞くもんだ」と思っていた私には衝撃的でした。
その集会で着任のあいさつを私がしましたが、生徒たちの「目」が冷たかったことを覚えています。
学校は荒れていましたし、生徒は教師を信用していませんでした。
もちろん、素直に頑張っている生徒もたくさんいましたが、そうでない生徒のムードが圧倒的に学校を支配していたのです。
そんな中、私は学級担任を持ち、「少しでもいい学校にするぞ!!」と思って日々取り組んで行きました。
ただ、1校目では「何でも思い通りにできた自分」が、「なんにもできない自分」になっていたことに気づくのです。
その頃の私は若く、勢いだけで指導をしていました。
確固たる「信念」や「指導方針」があるわけでもなく、でも周りの先生方の考え方には共感できない。ただ、自分に本物の力がないから言われるがまま指導をしていました。
もちろん面白くないです。
でも、「なんとかしよう、なんとかしよう」と行動するのですが、行動すればするほど職員室で浮いていく自分がいました。
必要な情報交換以外は話すことが無いので、職員室にはほとんど帰らないようになっていきました。
それでも、なんとか少しずつ生徒とも打ち解け、周りの先生たちの中にも私の考えに賛同してくれる人が、本当にちょっとずつですが出てきてくれました。
「これならなんとかやっていけるかも」
そんな小さな希望が出てきたある日。
一本の電話により、自分の小さな希望は吹き飛んでしまいました。
学級で「いじめ」が起きていたのです。
かなりヒドイ状態になるまで私は気づくことができませんでした。
色んなことが上手くいかない焦りと、自分の未熟さで、その生徒にとても辛い思いをさせてしまいました。
親御さんから「先生は信用できない」という言葉を聞いた時、なんとも言えない無力感が襲ってきたのを覚えています。
その生徒への申し訳なさと、自分が築き上げてきた自信が崩壊し、その頃の自分はボロボロになっていました。
でも、職員室に行ってもそのことを相談できない。
本当はいじめを解決するために教師が一致団結しなくてはいけないのに、「協力してください」の一言が言えなかったのです。
それでもなんとかいじめを解決し、学級も落ち着きを取り戻していたのですが、もう私の体が悲鳴をあげていました。
体重は10kgほど痩せ、微熱が常にある状態。
朝起きようと思っても、起きられない。
学校へいこうと思うと、鼓動が早くなって汗が出てくる。
完全に心が壊れていました。
あまりの状態に教頭先生が病院を紹介してくれたので、診察を受けに行きました。
「学校を休んだほうがいいですよ」
病院の先生にそう言われて、最初は訳が分かりませんでした。
「そんなに悪いのか?」「休んだらどうなるんだろう?」「そんな言われてすぐ休めるものなのか?」
色んな言葉が頭をめぐりました。
診察は教頭先生も同席しており、「休んだ方が、体のためにもいいんじゃないか?」と。
そこからはあまり覚えていません。
色んなことがショックで、でも何も考えたくない自分もいました。
気がつけば、一ヶ月学校を休むことに。
一人暮らしだったので、誰とも話すことなく2・3日が過ぎることもありました。
何もやる気が起きず、ただボケっとテレビを見ている日々。
行動しようというエネルギーが全く湧いてこないのです。
悔しいとかそんな気持ちも湧いてきません。
ただただ「休みたい」。
ベッドで横になっている時だけが、ほんの少し心が休まる時間でした。
それでも1ヶ月が過ぎ、学校へ。
全く自信もなくしていた自分は、学校へ行く意義を見いだせずにいました。
「もう、教師もやめようかな…」
そんなことを思っていたあるとき、本屋で運命の出会いをするのです。
原田隆史先生の「本気の教育でなければ、生徒は変わらない」
世の中、固いタイトルは敬遠されがちな風潮の中で異彩を放つ本がありました。
手に取り、パラパラっと本を読んで行くと、自分のように荒れた学校で苦しみながらも学校を再生し、尚且つ日本一を13回も出している。
スキルやノウハウだけでは、なんともできないと感じていた私はその本を買って帰り、一気に最後まで読みました。
涙が止まりませんでした。
荒れた学校で、四面楚歌の状態から改革を始めたこと。
どれだけ大変だっただろう。
でも、それを「実際にやりきっている人がいる」
それを思うだけで涙が次から次へと出てくるのです。
本当に勇気をもらえる本でした。
そればかりか、その本には素晴らしいヒントがあったのです。
原田先生は情熱だけでは無く、その取り組みを体系化し「原田メソッド」として誰でも取り組め成果が出せる形にされていたのです。
そしてその学びを「教師塾」という場で無料で受講することができる。
最初は信じられませんでした。
「なんでそんなすごい勉強会を無料でやってくれるんだろう」
「実は怪しくて、高い教材買わされたりするんじゃない?」
そんな私の浅はかな考えは、参加させていただいた時にあっさり引っくり返されました。
受講費が無料なだけでなく、お弁当まで付いてくるではありませんか。
そして、全国から集まった先生たちは、本当に熱心でやる気があり、でも優しくてユーモアもあり…。
その時に分かったのです。
私は「仲間」が欲しかったんだと。
どんなに苦しくても厳しくても、本気の「仲間」がいれば頑張ることができる。
でも、一人ではなかなかやりきることはできない。
「熱く夢を語って、本気で語り合い、全力で関われる先生たちがいる」-そのことが嬉しくて嬉しくて仕方ありませんでした。
「よし、辞めようと思っていたけれど、もうひと頑張りしてみよう!」
そこから、自分の生き方をガラッと変えることができたのです。
「仲間」とは本当にかけがいのないものです。
その出会いこそが、自分の大きな原点になっています。
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